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会社情報

創業者の原点

■創業者 略歴

田中清史

昭和11年3月 北海道帝国大学工学部機械科を主席で卒業
昭和11年4月 中島飛行機株式会社 入社
様々なゼロ戦や爆撃機富嶽のエンジン設計に携わる(富嶽では設計主担当)
昭和20年12月 中島飛行機株式会社 退社
昭和23年11月 株式會社大久野製作所を創業(現 東京プラント株式会社)
平成元年2月9日 他界

 

■中島飛行機株式会社(現 株式会社SUBARU)

※Wikipediaより抜粋

1917年(大正6年)から1945年(昭和20年)まで存在した日本の航空機・航空エンジンメーカー。通称、中島(なかじま)。創業者は中島知久平氏。エンジンや機体の開発を独自に行う能力と、自社での一貫生産を可能とする高い技術力を備え、第二次世界大戦終戦までは東洋最大、世界有数の航空機メーカーであった。

詳細は、こちらをご覧下さい。

■富嶽(ふがく)

※雑誌 内燃機関と人(創業者の当時のインタビュー)、Wikipediaなどより抜粋

第二次世界大戦中に日本軍が計画した、アメリカのB-29を超える6発の超大型戦略爆撃機である。アメリカ本土空襲後にそのままヨーロッパまで飛行し、ドイツまたはその占領地に着陸することが可能な大型長距離戦略爆撃機という計画であったが、1944年(昭和19年)7月、マリアナ沖海戦に完敗し絶対国防圏の東の鎖ともいうべきサイパンが陥落、最大の支援者であった東條英機首相は辞職。本土防空戦のための戦闘機開発優先・開発機種削減方針により、 「この戦争に間に合わない」と判断された富嶽開発は中止となった。

さらば空中戦艦 富嶽
幻のアメリカ本土大空襲

■富嶽の計画図

終戦後、アメリカ陸軍元帥ダグラス・マッカーサーの上陸により、多くの軍事資料が没収・焼き払われたが、当時、弊社創業者の田中清史は、アメリカに富嶽の計画図を没収されないように密かに隠し持っていた。3部現存しているうちの2部は現株式会社SUBARU殿に贈呈し、1部は当社に現存している。特定非営利活動法人日本自動車殿堂にて、殿堂入りをされていらっしゃる日野自動車株式会社元副社長の鈴木孝先生をはじめ多くの大学の先生方に取材を受け、先生方の著書に寄稿をして頂いている。

エンジンのロマン